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銀工房こじまの歴史を語ります
by nbushige
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当工房のモノがたり について

銀工房こじまは、
江戸鎚起工芸の末次派の末裔として現在も
生業をつづけさせて頂いております。

特に初代信重から、現在に至るモノがたりを
まとめようと思いましたが、
一気に長いモノがたりをまとめる事が出来ません。

そこで、まず、ブログ形式で、すこしずつ
綴って参りたい。

そう考え、このブログを立ち上げました。

何度か、見にきて頂ければ幸いでございます。

今後とも宜しくお願い申し上げます。

銀工房こじま 一同
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# by nbushige | 2015-01-31 16:58 | 沿革

初代 信重の時代を求めて


先日、初代 信重の作品、朧銀製神輿をお持ちになっている
個人の方のご依頼で、この神輿の作者の初代の事について
書類を作成したいということで、
編集に携わってくださる方が、出向いてくださり
初代に関わった、老舗さまなどを取材という形で同行、廻らせていただいた。

まず、柄香炉の噺から。
また、別の個人の方が、お持ちくださっております。

a0170220_1332129.jpg


a0170220_14331325.jpg

[画像は所有者の方の許可で撮影したもので、転載を禁じます。]

現存しているもので確認が取れているのは2個の柄香炉です。
正目で丸みを帯びた贅沢な桐箱。
その箱書きには、
---------------------
金銷金造
柄香炉
寧楽法隆寺蔵
国寳桑木香爐
模形状作之
小島 信重作
---------------------
と書いてございます。

「法隆寺にある国宝桑の木の柄香炉を模した。」
ということですね。
しかし、
法隆寺様の柄香炉としては、
「鵲尾形柄香炉  じゃくびがたえごうろ 」が有名ですね。
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=13764
桑の木では出来ていませんし、形も大分違います。

獅子が柄の端に、いるのですが、こういうタイプを、獅子鎮香炉というそうです。
例えば「銅獅子鎮柄香炉  どうししちんえごうろ 」です。
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=47505
こちらに大分近いように感じます。

天皇陛下御即位20年記念 正倉院展でお目見えした
「白銅柄香炉 はくどうえごうろ」では大分近いです。
http://blogs.yahoo.co.jp/kassy1946/58988210.html

そして、もっとも近いのは、正倉院宝物の
「紫檀金鈿柄香炉 したんきんでんのえごうろ」
http://osaka.yomiuri.co.jp/shosoin/treasure/2007/st2007_09.htm
装飾の位置なども酷似しており、憶測ですがこの柄香炉をモチーフにしたようだ。

箱書きの、法隆寺蔵という点で現在調査中です。
法隆寺さまの物ではなさそうですし、
紫檀でもなく、桑の木というのも疑問を隠せませんが
調査には時間がかかりそうです。
箱に使われた組紐は老舗の道明さんの物で
取材でお伺いすると、この組紐の組み方自体が「法隆寺」と
いうそうで、驚きました。
紐にまでこだわっているのですね。

もちろん初代は、飛鳥時代という古代に製作したのではなく
近代ですね。おそらく大正だろうと考えています。

香炉の爐の部分が獅子がつまみになっており、
外せて、落とし底になっています。
その裏面に、彫りで信重作と入っておりました。
ですので、全体をひっくり返す事無く
お香の灰を捨てやすくなっております。
孔雀石と珊瑚がちりばめられた、絢爛な造りです。
金銷(きんけし)※1 なので色も奇麗な黄金色のままです。
所有者の方の管理がいいのですね。

この獅子の木型の原型が今も残っております。

また、この柄香炉は、浅草 清水本店さんで出たお品もので
当時の貴重なお話を聴かせていただきました。
(ブログですので詳細は略します。ご了承ください。)


噺は、神輿の方に移ります。

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[画像は所有者の方の有志で撮影したもので、転載を禁じます。]

おそらく、大正時代の噺になりますが
ある銀行の頭取さんがご依頼され、製作に入ったが
完成をまたずに、お亡くなりになり宙に浮いたそうです。
その後も、合間を見て完成させ
二代目が、15歳で仕事に就くころには、
すでに、仕上げ(色上げ/煮色)※2 の段階だったそうだ。

その後、昭和36年に現在の所有者の方が求められました。
当初、刀の装飾なども行っており、刀か神輿とどちらかを
とのことで、初代に依頼。
当時は、現在の所有者の方が20代とお若かったため
刀ではなく、神輿ならと、お売りしたようです。
ちなみに、刀は、大鵬であったか、柏戸の優勝の副賞になったとか
(あくまで、そう伝わっているということです。)

素材は
金、銀、銅、朧銀(四分一)で出来た置物です。
実物のおおよそ1/8スケールです。

二代目の噺ですと、神田明神さまの写しと聴いていた
ということです。
やはり、神田明神さまは、江戸総鎮守 であられますので
こちらのお神輿は江戸で最も有名なお神輿と言えます。

今回、神田神社様にも取材させていただき
ご教示頂いてまいりました。

結果としては、
震災前のお神輿のお写真は、将門様のお神輿のものがあるが
大分、消失しているとのことと
昔のこととはいえ、神田明神さまのご依頼での製作ではないので
資料がある訳ではないとお教えくださいました。
そのとおりですね。
それでも、ご親切にして頂きまして
いろいろと、お調べくださいました。
「見た目では、現存のものでいうと、摂社の小船町の御神輿に近いが
鳳凰が若干違うなどが見てとれます。
そのため、どこのお神輿と断定した物ではなく、
さまざまな、お神輿のいい所取りをして、製作されたと言えそうだ」ということでした。

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この神輿を造る際に
まず、図面が必要です。
その図面は、故・小峰松柏氏が携わっておられます。
当時は、日本橋三越の裏手にございました、
老舗の安田松慶堂さんの一番番頭であった方です。
(現在は銀座にございます。)

現在の社長であり七世の安田松慶様に
当時の貴重なお話を聴かせていただきました。
(ブログですので詳細は略します。ご了承ください。)
松柏氏は腕の良い方で多くの神社仏閣の設計にも携わったそうです。
日本橋の日枝神社のお神輿もそうなのだそうで、お写真を拝見すると
非常に絢爛なものでした。言葉を失うほどの見事さ。
日本屈指の腕前だったんですね。

明治青年時代の初代は
江戸城に代々出仕していた、末次師に師事。
台東区の下谷茅町(したやかやまち)今で言う
池之端一丁目あたりと推測できますが
その辺りで、奉公と下積みをし、精進したと考えられます。

独立後は、大正から、昭和初期まで
北区の滝野川に住んでいた初代。
台東区根岸に初代が越してから、松柏氏は何度か
工房におみ足を運んでくださったようで、
二代目もその、がっちりとした体格と
セッタをつっかけて
粋な和装のお姿が目に焼き付いているそうだ。

この、初代製作の神輿の正確な素材は
朧銀(おぼろぎん/ろうぎん)で、落ち着いた銀灰色
<四分一(しぶいち)という合金です。江戸後期に流行した>
赤銅(しゃくどう)で、黒色
銅で、赤色
銀で白または、金銷をほどこし金色
一部、金を使って製作。
と、金属を用いて表現されている。
いわゆる、色金(いろがね)ですね。
それを着色ではなく、煮色※2 で仕上げられている。

屋根部分が、朧銀で出来ていて、黒ではないのだ。
ふつう、本物のお神輿を見ると黒の漆がおおい。
もしくは、梨地仕上げで、上品な色。
もしくは、朱色というのもあるし、銅板貼りや、金色もある。
黒と決まっているものでもないらしい。

前述したように、黒を赤銅で表現が可能なため
意識的、意匠的な意図で、朧銀を使ったと言える。

これについては、神輿の屋根についてではなく技法として、
「高級な漆の塗り技法で、梨地の一つで、銀灰色に見える
仕上げもあることはある」と松慶氏がお教えくださった。

初代が、震災前に見たであろう明神さまの神輿に合わせ
この屋根色は、こだわりをもってそうしたものと言えるのではないか?
もちろん、これは、憶測の範囲を脱し得ないが、個人的にはそう感じてくる。

また、先の大戦の金属没収や戦火をよく、くぐり抜けられたねー
と、松慶氏がお言葉下さり、
本当にそうだなーと、当時を想像したりもしました。

この往時は、依頼後、材料費も先にいだだけ
依頼主が製作中にくれば、おつかれさまとお金をおいてゆき
完成すればまた、作品代を頂ける。
今風でいえば、パタロンでしょうか
そうした、目利きで、財のある方々が、職人さんにいい仕事をさせていた、
そんな時代性もあったから、いい仕事が出来たのかもしれません。

今回、いろいろな方に貴重なお話を聴く事が出来きました。
所有者の方々、老舗さま、神田神社さまと、お手数をおかけしました。
感謝申し上げます。

また、編集者さんがくる事で二代目の普段聴けない噺も聴けてよかったです。
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家の奥から、二代目が出してきた、火鉢。
初代が、大八車の車軸受けをつかって、叩いて銅板をまげ、うち釜をつくり
自作したものだそうです。
打ち出し時の松ヤニをあたためたり、冬場は手をあたためたりと使われたそうです。

今回の取材は、いい勉強になりました。

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取材の最終日、空を見上げると、日暈がでておりました。
個人的には、先祖が喜んでいるのかな?などと
勝手に思いました。



○注釈

※1 金銷(きんけし)について
伝統技法の鍍金加工といってもよいでしょう。
現在のメッキは、電気的にイオン化したものを、金属に定着させる方法ですが
金銷は異なります。
純金と水銀をよくまぜた物を造ります。(金アマルガム)
それを、銀などの素材に塗り、バーナーであぶって、水銀を飛ばす事で定着させます。
しかし、ある意味、危険な作業でもあります。
ちなみに、銀アマルガムで行えば、銀銷となります。

※2 仕上げ(色上げ/煮色)
この技法は、特殊な配合で、緑青などを混ぜた水溶液(秘法)に
銅系の合金を投じ、煮る事で、その金属の色を引き出して
まるで、塗装したように色を出す技法です。

ではまた。

追伸
初代 信重作の作品を探しております。
お持ちの方、これは?という物があれば、ご一報下さい。
また、末次師の情報も受け付けております。
宜しくお願い申し上げます。
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# by nbushige | 2010-07-11 13:51 | 初代 小島 信重

二代目 信重のこと


二代目の事は、公式ページの下記に記しております。
http://www.ginkouboukojima.jp/gin_nobushige2.html

また、メトロスコープに掲載されました。
http://scope.metrocf.or.jp/area/201004-201007_03/index.html

ご参照ください。

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免責:このブログはあくまで、個人的な見解です。
   なんら強要するものではありません。
   ご了承ください。
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北区伝統工芸保存会
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# by nbushige | 2010-05-26 21:30 | 二代目 信重

小島製作所時代の思い出

筆者から見て母方の祖父恵雲も初代に弟子入りして
若くして独立。
その後、起業し、(有)小島製作所を設立。

初代健在の時代は、進駐軍向けの銀製品が売れたという。
戦中は軍部からの依頼もあったり、当時の宮内省からも依頼があったという。
初代が亡くなってから、
好景気の中、銀製品は生産が追いつかないほどであった。

とくに、銀製ヨットは売れ、当時は意匠登録等もしませんし、
他の工房でも、ヨットや、宝船などを製作していますが、売れた時代でした。

ヨットも、特号、1から5号まで、一本柱、二本柱のヨット宝船、兜
国鳥雉子など、豊富なラインナップを持ち、ゴルフのコンペ賞品として、需要が合った。
純金製なども出た。
工房も最大で10人の職人が働いた時期もあった。
それでも、徹夜が続いたという。

現代住宅事情から、床の間の存在も少なくなり
置物の需要は減り、余裕の有るうちに小島製作所は休眠とあいなった。

当時の想いでの写真を掲載します。

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いろいろなパーツが入っていた箱。

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二階の倉庫

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注文を書き込んだ、黒板

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ハンドプレス。

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大きなバフが2台。動力の圧延機が一台あった。
現在この部分は駐車場に。

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昔の商品、トビウオ。

初代亡き後、二代目は商売で成功していた、叔父恵雲の小島製作所に入社。
恵雲の息子3人兄弟とともに、ヨット、宝船、などの製作に従事。
その為、良く子供自分は遊びに入り、刃物があるので危ないとしかられていた。

当時の僕には、「毎日船のプラモデルを作って楽しい仕事してる」といって
職人さんを笑わせたらしい。

現在は、こうした美術工芸品から方向を少しかえ、
幅広い意味での銀細工として、身近なもの、記念品などの受注生産と
職人仕事、作家仕事と両立し、信重ブランドを確立すべく
精進させていただいております。

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免責:このブログはあくまで、個人的な見解です。
   また、専門家による見解ではなく
   あくまで昔話的なものです。
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# by nbushige | 2010-03-10 01:28 | (有)小島製作所

銀工房こじま 略史


銀工房こじまは、二代目 信重が主幹する工房です。
沿革というには、若干アバウトながらここに記します。
(このブログにあるカテゴリーで、個々の詳細を述べております。)

江戸城本丸に代々出入りをしていた、末次吉之助<号・正行>の
流れを汲む末次派に属しています。

初代 小島 啓造<号・信重> は末次師に師事。
二代目の小島 功は、15歳で父に師事。
(派としては、末次派末裔と言っております。)

初代亡き後、まだ若かったため、同門の親戚にあたる
小島 秀雄 (号・貞一、後に恵雲)の経営する
(有)小島製作所にて、ヨット、宝船などの貴金属置物を手がけた。

2006年、時代の流れとともに
日本家屋に床の間などがなくなって行くこともあったり
ゴルフのコンペ景品も、だんだん使われなくなり
(有)小島製作所は自主的に閉所とした。

同年、2006年秋に、二代目 小島 信重として拝命。
銀工房こじま設立にいたり、新しいスタートを切った。
鎚起(鎚金)工芸から、広い意味の銀細工というジャンルをなのり
生業をつづけている。

ちなみに、筆者の見習い職人の小島信一(のぶかず)の名前は
傍系祖父 貞一 と 主系祖父 信重 との一字から取ったそうである。


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