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銀工房こじまの歴史を語ります
by nbushige
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初代 信重の時代を求めて


先日、初代 信重の作品、朧銀製神輿をお持ちになっている
個人の方のご依頼で、この神輿の作者の初代の事について
書類を作成したいということで、
編集に携わってくださる方が、出向いてくださり
初代に関わった、老舗さまなどを取材という形で同行、廻らせていただいた。

まず、柄香炉の噺から。
また、別の個人の方が、お持ちくださっております。

初代 信重の時代を求めて_a0170220_1332129.jpg


初代 信重の時代を求めて_a0170220_14331325.jpg

[画像は所有者の方の許可で撮影したもので、転載を禁じます。]

現存しているもので確認が取れているのは2個の柄香炉です。
正目で丸みを帯びた贅沢な桐箱。
その箱書きには、
---------------------
金銷金造
柄香炉
寧楽法隆寺蔵
国寳桑木香爐
模形状作之
小島 信重作
---------------------
と書いてございます。

「法隆寺にある国宝桑の木の柄香炉を模した。」
ということですね。
しかし、
法隆寺様の柄香炉としては、
「鵲尾形柄香炉  じゃくびがたえごうろ 」が有名ですね。
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=13764
桑の木では出来ていませんし、形も大分違います。

獅子が柄の端に、いるのですが、こういうタイプを、獅子鎮香炉というそうです。
例えば「銅獅子鎮柄香炉  どうししちんえごうろ 」です。
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=47505
こちらに大分近いように感じます。

天皇陛下御即位20年記念 正倉院展でお目見えした
「白銅柄香炉 はくどうえごうろ」では大分近いです。
http://blogs.yahoo.co.jp/kassy1946/58988210.html

そして、もっとも近いのは、正倉院宝物の
「紫檀金鈿柄香炉 したんきんでんのえごうろ」
http://osaka.yomiuri.co.jp/shosoin/treasure/2007/st2007_09.htm
装飾の位置なども酷似しており、憶測ですがこの柄香炉をモチーフにしたようだ。

箱書きの、法隆寺蔵という点で現在調査中です。
法隆寺さまの物ではなさそうですし、
紫檀でもなく、桑の木というのも疑問を隠せませんが
調査には時間がかかりそうです。
箱に使われた組紐は老舗の道明さんの物で
取材でお伺いすると、この組紐の組み方自体が「法隆寺」と
いうそうで、驚きました。
紐にまでこだわっているのですね。

もちろん初代は、飛鳥時代という古代に製作したのではなく
近代ですね。おそらく大正だろうと考えています。

香炉の爐の部分が獅子がつまみになっており、
外せて、落とし底になっています。
その裏面に、彫りで信重作と入っておりました。
ですので、全体をひっくり返す事無く
お香の灰を捨てやすくなっております。
孔雀石と珊瑚がちりばめられた、絢爛な造りです。
金銷(きんけし)※1 なので色も奇麗な黄金色のままです。
所有者の方の管理がいいのですね。

この獅子の木型の原型が今も残っております。

また、この柄香炉は、浅草 清水本店さんで出たお品もので
当時の貴重なお話を聴かせていただきました。
(ブログですので詳細は略します。ご了承ください。)


噺は、神輿の方に移ります。

初代 信重の時代を求めて_a0170220_13325160.jpg

[画像は所有者の方の有志で撮影したもので、転載を禁じます。]

おそらく、大正時代の噺になりますが
ある銀行の頭取さんがご依頼され、製作に入ったが
完成をまたずに、お亡くなりになり宙に浮いたそうです。
その後も、合間を見て完成させ
二代目が、15歳で仕事に就くころには、
すでに、仕上げ(色上げ/煮色)※2 の段階だったそうだ。

その後、昭和36年に現在の所有者の方が求められました。
当初、刀の装飾なども行っており、刀か神輿とどちらかを
とのことで、初代に依頼。
当時は、現在の所有者の方が20代とお若かったため
刀ではなく、神輿ならと、お売りしたようです。
ちなみに、刀は、大鵬であったか、柏戸の優勝の副賞になったとか
(あくまで、そう伝わっているということです。)

素材は
金、銀、銅、朧銀(四分一)で出来た置物です。
実物のおおよそ1/8スケールです。

二代目の噺ですと、神田明神さまの写しと聴いていた
ということです。
やはり、神田明神さまは、江戸総鎮守 であられますので
こちらのお神輿は江戸で最も有名なお神輿と言えます。

今回、神田神社様にも取材させていただき
ご教示頂いてまいりました。

結果としては、
震災前のお神輿のお写真は、将門様のお神輿のものがあるが
大分、消失しているとのことと
昔のこととはいえ、神田明神さまのご依頼での製作ではないので
資料がある訳ではないとお教えくださいました。
そのとおりですね。
それでも、ご親切にして頂きまして
いろいろと、お調べくださいました。
「見た目では、現存のものでいうと、摂社の小船町の御神輿に近いが
鳳凰が若干違うなどが見てとれます。
そのため、どこのお神輿と断定した物ではなく、
さまざまな、お神輿のいい所取りをして、製作されたと言えそうだ」ということでした。

初代 信重の時代を求めて_a0170220_1332311.jpg


初代 信重の時代を求めて_a0170220_1333653.jpg


この神輿を造る際に
まず、図面が必要です。
その図面は、故・小峰松柏氏が携わっておられます。
当時は、日本橋三越の裏手にございました、
老舗の安田松慶堂さんの一番番頭であった方です。
(現在は銀座にございます。)

現在の社長であり七世の安田松慶様に
当時の貴重なお話を聴かせていただきました。
(ブログですので詳細は略します。ご了承ください。)
松柏氏は腕の良い方で多くの神社仏閣の設計にも携わったそうです。
日本橋の日枝神社のお神輿もそうなのだそうで、お写真を拝見すると
非常に絢爛なものでした。言葉を失うほどの見事さ。
日本屈指の腕前だったんですね。

明治青年時代の初代は
江戸城に代々出仕していた、末次師に師事。
台東区の下谷茅町(したやかやまち)今で言う
池之端一丁目あたりと推測できますが
その辺りで、奉公と下積みをし、精進したと考えられます。

独立後は、大正から、昭和初期まで
北区の滝野川に住んでいた初代。
台東区根岸に初代が越してから、松柏氏は何度か
工房におみ足を運んでくださったようで、
二代目もその、がっちりとした体格と
セッタをつっかけて
粋な和装のお姿が目に焼き付いているそうだ。

この、初代製作の神輿の正確な素材は
朧銀(おぼろぎん/ろうぎん)で、落ち着いた銀灰色
<四分一(しぶいち)という合金です。江戸後期に流行した>
赤銅(しゃくどう)で、黒色
銅で、赤色
銀で白または、金銷をほどこし金色
一部、金を使って製作。
と、金属を用いて表現されている。
いわゆる、色金(いろがね)ですね。
それを着色ではなく、煮色※2 で仕上げられている。

屋根部分が、朧銀で出来ていて、黒ではないのだ。
ふつう、本物のお神輿を見ると黒の漆がおおい。
もしくは、梨地仕上げで、上品な色。
もしくは、朱色というのもあるし、銅板貼りや、金色もある。
黒と決まっているものでもないらしい。

前述したように、黒を赤銅で表現が可能なため
意識的、意匠的な意図で、朧銀を使ったと言える。

これについては、神輿の屋根についてではなく技法として、
「高級な漆の塗り技法で、梨地の一つで、銀灰色に見える
仕上げもあることはある」と松慶氏がお教えくださった。

初代が、震災前に見たであろう明神さまの神輿に合わせ
この屋根色は、こだわりをもってそうしたものと言えるのではないか?
もちろん、これは、憶測の範囲を脱し得ないが、個人的にはそう感じてくる。

また、先の大戦の金属没収や戦火をよく、くぐり抜けられたねー
と、松慶氏がお言葉下さり、
本当にそうだなーと、当時を想像したりもしました。

この往時は、依頼後、材料費も先にいだだけ
依頼主が製作中にくれば、おつかれさまとお金をおいてゆき
完成すればまた、作品代を頂ける。
今風でいえば、パタロンでしょうか
そうした、目利きで、財のある方々が、職人さんにいい仕事をさせていた、
そんな時代性もあったから、いい仕事が出来たのかもしれません。

今回、いろいろな方に貴重なお話を聴く事が出来きました。
所有者の方々、老舗さま、神田神社さまと、お手数をおかけしました。
感謝申し上げます。

また、編集者さんがくる事で二代目の普段聴けない噺も聴けてよかったです。
初代 信重の時代を求めて_a0170220_16423445.jpg

家の奥から、二代目が出してきた、火鉢。
初代が、大八車の車軸受けをつかって、叩いて銅板をまげ、うち釜をつくり
自作したものだそうです。
打ち出し時の松ヤニをあたためたり、冬場は手をあたためたりと使われたそうです。

今回の取材は、いい勉強になりました。

初代 信重の時代を求めて_a0170220_1771875.jpg

取材の最終日、空を見上げると、日暈がでておりました。
個人的には、先祖が喜んでいるのかな?などと
勝手に思いました。



○注釈

※1 金銷(きんけし)について
伝統技法の鍍金加工といってもよいでしょう。
現在のメッキは、電気的にイオン化したものを、金属に定着させる方法ですが
金銷は異なります。
純金と水銀をよくまぜた物を造ります。(金アマルガム)
それを、銀などの素材に塗り、バーナーであぶって、水銀を飛ばす事で定着させます。
しかし、ある意味、危険な作業でもあります。
ちなみに、銀アマルガムで行えば、銀銷となります。

※2 仕上げ(色上げ/煮色)
この技法は、特殊な配合で、緑青などを混ぜた水溶液(秘法)に
銅系の合金を投じ、煮る事で、その金属の色を引き出して
まるで、塗装したように色を出す技法です。

ではまた。

追伸
初代 信重作の作品を探しております。
お持ちの方、これは?という物があれば、ご一報下さい。
また、末次師の情報も受け付けております。
宜しくお願い申し上げます。
by nbushige | 2010-07-11 13:51 | 初代 小島 信重
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