銀工房こじまの歴史を語ります
by nbushige
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<   2010年 02月 ( 6 )   > この月の画像一覧

初代の名作

左のプロフィールにもでております
神田明神さまの御神輿(写したと伝わる)の話。
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実際に担ぐ御神輿ではなく、
初代 信重 の製作した、全て金属製の置物である。
大正時代の後期、ある銀行の頭取からの依頼で製作したが
依頼主様が完成前に亡くなったため、宙に浮いていたものを
こつこつと仕上げていたようで、
昭和36年に京都の個人の方がお求めになって
お持ちになっております。

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実際の御神輿や仏壇の宮大工用の図面どおりに、再現。
(小峰松柏氏による製図と口伝されています。)
一つ一つのパーツを金型無しで製作した。
その当時の部品が、今も残っています。(下記画像)
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朱塗りの部分は純銅、黒塗りは赤銅で煮色でだし
銀、金、四分一、など全て
鎚起でできている。

父も、恵雲も総出で手伝ったという。
二代目も小突かれて作った記憶が有るそうです。

この時代は恵まれていて、
製作中の費用も、依頼主が持ち、完成すればその製作代が入るという
いわゆる、パタロンの様な、一流の旦那衆が居たのだそうです。

完成時、近所の人たちが集まったそうで、
僕の通う床屋さんでは、当時の事を今も語られます。
床屋のマスターは数年前亡くなられたが、若い時分に
初代の頭を刈ったそうです。

もともと、紐類が、老舗の道明さんの組紐です。

現在、持ち主様の有志で資料が制作中です。
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by nbushige | 2010-02-22 01:17 | 初代 小島 信重

小島 恵雲について

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小島 恵雲<本名小島秀雄>
明治38年 茨城県笠間生まれ
16歳で上京。

叔父、小島 信重に師事、27歳で独立。
(有)小島製作所 設立

鎚起の技術で、宝船を製作。
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併せて昭和17年、当時の花形航空機であった九十七式重爆撃機の1/30の
銀製模型を、時の皇太子殿下(現天皇陛下)に献上
昭和18年、文部省より技術保存される。
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その他、当時の宮内省より多数の貴金属美術品の製作依頼を受け献上した。
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<代表作の一つ>

号、恵雲は、帝展無鑑査の故 中野恵祥氏より一字を頂いてつける。

兜、ヨット、宝船、飛行機の置物を得意とし
後輩育成と、銀の鎚起工芸の継承に尽力をかけた。
享年80歳 昭和60年没

代表作 華車
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すかしも見事である。

<筆者つけたし>
父である二代目は、初代が亡くなった時には、まだ若かったため
初代の弟子でもあった遠縁の恵雲の元に入る。
当時は、銀製品は銀器とともに、好景気ということもあり、
需要の拡大とともに売れていた。
当時の(有)小島製作所(のちに詳しく述べる)には10人の職人が居た。

筆者からすると、母方の祖父であり、
初代信重は、父方の祖父である。
小島一族では末っ子の筆者からすると、初代とは
この世で会った事が無いので、この恵雲の思い出が濃い。
また、後に述べます。


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免責:このブログはあくまで、個人的な見解です。
   また、専門家による見解ではなく
   あくまで昔話的なものです。
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by nbushige | 2010-02-21 01:56 | 小島 恵雲

鎚起とは


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小島 恵雲作 華車

鎚起(ついき)というと、聞き慣れない方が多いかもしれません。

金工という大きなくくりのなかの一部門です。
大きく分けて下記のようになります。

【鋳物】<いもの・鋳金/鋳造>
金属を溶かし、型に注ぎ込んで形を作る。

【鎚起】<ついき・鍛金/うちもの>
おそらく、現在には、鍛金と言った方が一般的な技術で
地金を打ち、のばし、絞るなどで形をつくる。

【彫金】<ちょうきん/ほりもの/うちだし>
地金を彫り、すかし、打ちかざる(たがね技法)

【彩金】<さいきん/仕上げ師>
金属への鍍金加工を施し、彩りを与えたり
金属本来の色を引き出したりなど。

あくまで、大きく分けてです。

我が末次派はなかでも、飾り物や置物が主な製作物です。
置物を仕上げるには、これらの技術を総合的にまとめないと
仕上がりません。
オールマイティな方ももちろんいらっしゃいますが、
分業で各ご専門分野の方々との連携で成立している場合も多いです。

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by nbushige | 2010-02-11 11:24 | 鎚起

末次派の系譜

末次派系譜

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鎚起の沿革
日本鍛金工芸会 昭和41年6月15日発行
編著者 藤本 長邦  名鑑編者 松本 外茂次に、
系譜が記されている。

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師:末次吉之助号正行 昭和5年5月没 73歳 
下谷茅町に住す、代々江戸城本丸に 出仕、
維新後腰元錺技術を習得後彫金技術をも研鑽し、
赤銅、四分一等金銀を駆使せる 置物、
床飾り及び神社仏閣の模型製作に
卓越なる技倆を示す。
代表作 五重塔 高さ五尺八寸 三井家蔵

門人に小島啓蔵号信重土浦の人、
銀製お神輿または鐘楼等を得意とした。

同門に香坂九仁雄(宗広)信州上伊那に生きる、
師の技術に精通し更に研鑽吾国古来の花車、御所車置物製作伝承者として
他の追随を許さず。
代表作 平等院鳳凰堂 置物 萩原家蔵

とある。

<出典:鎚起の沿革 日本鍛金工芸会 >

この資料は古いので、別の組合様編集の最新のモノには、
この資料以降の後継者の方々のお名が載っていると思います。
資料が古いための事ですので、ご了承くださいませ。

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by nbushige | 2010-02-11 10:55 | 末次派

初代 信重 の時代

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信重の打ち出しの兜のお飾り

司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』のサイトを見た。明治などの年表がでていた。

1886年 明治19年生まれの初代信重が生まれる。
この明治の時代を青春期過ごした事を思うと
司馬さんの描いた時代が重なります。

年代を表してみます。
1886 明治19年  初代 信重 誕生
1901 明治34年  初代 信重15歳
1906 明治39年  初代 信重20歳
1916 大正5年  初代 信重30歳
1936 昭和11年 初代 信重50歳
海外の万博に出かけたそうである。
しかし、1925の時か、1931の時か、1937の時か
解っていない。

1954年昭和29年に15歳で、二代目が弟子入りする。

そう書きますと、「え?」と思う方も居られると思います。
初代がかなり、昔のヒトだとなります。
「嘘かいたの?」と言われそうですが、そうではありません。
初代は僕から見て血縁上は、父方の曾祖父で、戸籍上は祖父になります。
 初代は一人娘だったので、孫であった父が養子縁で息子となった為。

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by nbushige | 2010-02-11 10:15 | 初代 小島 信重

初代 小島 信重

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初代 小島信重 は、明治19年12月18日 生まれ。
茨城県の笠間に生まれた。
昭和初期は、東京北区の滝野川に済み
晩年は、台東区仲根岸に住んだ。

小島信重の作品は、箱とともに残っておれば
信重と解るが、自らの名を自分から刻まず
『おれの作品は見るヒトが見ればわかるんだ』といっていたと
二代目から聴き及んでおります。

そのため、私どももすべてを把握はしておらず
かえって、後日、作品をお持ちの方から
『お宅の祖先?』とお尋ねにこられることもあり
驚きとともに、初代の作品を目にするという形になっております。
過去記事参照 ここをクリック

あるお客さまのお持ちのものは下記クリック
金銷金造 柄香炉 箱書きには法隆寺の柄香炉となっておりますが、正倉院の紫檀の柄香炉に酷似しており、現在調べ中。

今後も、もし、このブログをお読みの方で、
「これは?信重のものかな?」と
思う物がもし、お手元にあれば、ご連絡を下さい。

今回のお話はここまで。

筆者は、三代目見習いの小島信一(のぶかず)です。
このブログをまとめて参ります。宜しくお願い申し上げます。


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by nbushige | 2010-02-03 23:16 | 初代 小島 信重