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小島 恵雲について小島 恵雲<本名小島秀雄> 明治38年 茨城県笠間生まれ 16歳で上京。 叔父、小島 信重に師事、27歳で独立。 (有)小島製作所 設立 鎚起の技術で、宝船を製作。 併せて昭和17年、当時の花形航空機であった九十七式重爆撃機の1/30の 銀製模型を、時の皇太子殿下(現天皇陛下)に献上 昭和18年、文部省より技術保存される。 その他、当時の宮内省より多数の貴金属美術品の製作依頼を受け献上した。 <代表作の一つ> 号、恵雲は、帝展無鑑査の故 中野恵祥氏より一字を頂いてつける。 兜、ヨット、宝船、飛行機の置物を得意とし 後輩育成と、銀の鎚起工芸の継承に尽力をかけた。 享年80歳 昭和60年没 代表作 華車 すかしも見事である。 <筆者つけたし> 父である二代目は、初代が亡くなった時には、まだ若かったため 初代の弟子でもあった遠縁の恵雲の元に入る。 当時は、銀製品は銀器とともに、好景気ということもあり、 需要の拡大とともに売れていた。 当時の(有)小島製作所(のちに詳しく述べる)には10人の職人が居た。 筆者からすると、母方の祖父であり、 初代信重は、父方の祖父である。 小島一族では末っ子の筆者からすると、初代とは この世で会った事が無いので、この恵雲の思い出が濃い。 また、後に述べます。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 免責:このブログはあくまで、個人的な見解です。 また、専門家による見解ではなく あくまで昔話的なものです。 無断での画像使用はお断りします。
by nbushige
| 2010-02-21 01:56
| 小島 恵雲
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